名取市閖上へ

「思い出探し隊」

メディア

葛藤して、前へ(vol.7)

名取市閖上へ
仙台市内から15キロ程、漁港と自然豊かな穏やかな土地である名取市閖上(ゆりあげ)。
写真洗浄ボランティアを長期にわたり被災各地でサポートしている富士フイルム様(気仙沼でご縁のあったご担当者様)にご紹介いただき、 「思い出探し隊」の写真洗浄・拾得物保管閲覧所とされている閖上小学校へ向かう。

ここは他の被災地とまた異なり、沿岸部から数キロと内陸に入ったところまで漁船が打ち上げられ、平地ゆえ街の奥深い所まで津波の爪あとが残っている。

瓦礫は撤去されているものの、草が生い茂り、作業人以外住民はあまり見られないので、時間が止まっているような静かな町並みだ。
再建へ向け意見が二分されているようで、方向性が決まらず、今は空白の時期のようだ。

夏休み子供達の活気の余韻が残るはずが、主役不在で建物も生命力を失っているよう。生徒達は分散して他校へ臨時編入しているそうだ。

しかし体育館内は、写真の他、ランドセル、卒業証書、卒業アルバム、大漁旗、壷や仏像など様々な拾得物が置かれ、 沢山の人たちの暮らしがあったことを証明し、多くの品が静かに持ち主を待ち続けている。

葛藤して、前へ 葛藤して、前へ
葛藤して、前へ 葛藤して、前へ

到着してボランティアの女性が対応してくれた。お孫さんが夏休み、時間をやりくりして一人仙台から通っているそうだ。

「遠方からわざわざありがとう」と目に涙をため迎えてくれ、一緒に作業しながら、ここの状況を聞かせてもらう。 平日だったので多くは無かったが、お盆や休日に探しに来る方は多いそうだ。しかし彼女以外ボランティアがいない。

写真救済プロジェクトを復興協会の1事業部とし、現地雇用を生み出した気仙沼では毎日センターからボランティアが派遣され、人が溢れていた。ボランティアが撤退することは復興への第一歩、望ましい形だが、ここにはまだ大量に海水に浸かった泥付きの写真が残っている。

「8月上旬で名取市のセンターはボランティア受け入れを終了したんです」
「思い出探し隊」の責任者、新井さんが今の閖上を話してくれた。

「でもこのエリアの拾得物はここへ持ち込まれています」
お財布免許証など個人が確定出来る物は警察へ、でもその他の物は全てここで預かる、建物を解体している今、次々と持ち主不明の物が出てくる。

「写真保全活動の発祥の場と言われていますが、他の地域よりも市や行政が遅かったかもしれない」

責任者であり、一人で運営している新井さんは、自分の人脈で何とかこの閖上小学校体育館で「思い出探し隊」を継続している。

出身は関西、閖上には4年間暮らし、震災の影響で現在休職中。
「なとり観光復興プロジェクト」の活動と両立し、気仙沼出身でない気仙沼写真救済プロジェクトの責任者、高井さん同様、彼も名取市から離れるつもりは無く、 この土地の復興を全力で考えている。

「思い出探し隊」を通して、様々な角度からここ閖上の復興を大きなビジョンで捕らえ、人との出会い、関わり、絆に対し真摯な姿勢が伺える。

初見の私に対しても、自身の思い、心の葛藤も話してくた。

「思い出探し隊」
「思い出探し隊」スタートのきっかけは、竹澤さんという女性が家族の写真を探すことから始まった。

作業場でも彼女らしき直筆の「整理整頓、綺麗にしてくれてありがとう、これからもよろしくお願いします」など、ボランティアへの配慮があちらこちらに見える。 手探りで手造りで、模索しながら戸惑いながら葛藤しながら、ここまで築き上げてきた精神力に心を打たれる。

ブログなど拝見してたが、直接お会いし、竹澤さんは明るく気さくでムードメーカーな、利発な方という印象を受ける。

「知り合いの頭部だけが見つかった、けど家族も行方不明だからDNA鑑定が出来なく、本人の確率が高いのに引き取れない」

「数十年前の写真になるけど、これを遺影に。スキャンしてください」と高校の卒業アルバムから知り合いの写真をお願いする。

震災から約6ヶ月、日常の会話になるまでに、慣れてしまっているんだろう。
その会話に津波の本当の怖さを、震災の現実に向き合い続けている人たちの生活を改めて思い知らされる。


立ち直るとか、前を向くとか、そういう思考や言葉は全く意味を持たない気がしてならない。


彼女のお父さんはご遺体が見つかり、母そして祖母、未だ行方不明だ。


ここ体育館入口には、可愛い男の子の笑顔の写真がある。
その下にはメッセージと連絡先が書かれている。
家族皆で会えるその日を、母親としてその背景にある切なる想い。




「息子を探しています。竹澤雅人(8ヶ月)」




震災から約6ヶ月、未だどんな言葉ですら、意味を持たない気がしてならない。




新井さんは本当の意味での被災地支援とは何か、と自問しながら彼女の思いを懸命に受け継いでいる。

葛藤して、前へ 葛藤して、前へ
葛藤して、前へ 葛藤して、前へ

メディア
疑問に思うこととして、新井さんからメディア取材の話を聞いた。

例えばここの取材だったとして、メディアはボランティアを取り上げる。 被災地ではボランティアが主役ではない。ここで生活する人たちだ。

確かに実感するのは、現地の方に「一生懸命やってくれて有難う」と言われると、正直「一時期だから」という想いが見え隠れしてしまう。 ここで生活し、運命を共にしたら、同じことを出来る自信は自分にはない。

被災地から、現実から逃げず、人に感謝し、アクションを起こしている人たちを、もっとフォーカシングして欲しいというのはメディアには伝わっていない。

先日行われたとあるキー局の取材では、こちらの作成したシナリオ通りに進めてもらいたいとディレクターから指示を受けたそうだ。

注目してもらうため、視聴率を上げるため、若干の脚色やドラマティックさは必要かもしれない。 誰かを傷つけたり、誤解があったり、不確定な場合は、事実をぼやかすことはあるかもしれない。


事実を歪曲する必要がどこにあるのだろうか。制作会社が求めたシナリオの結論は、

「過去を振り向かない、しがみついていない、前へ進んでいる人たちは、思い出と決別、ここへは来ない」


写真洗浄でたくさんの持ち主を見てきて、現実を受け入れる作業だから、写真を探しに来るまで時間が掛かったという人は確かに存在した。

しかし「復興への想い」と「自分の過去の財産」を天秤にかけている人に出会った事はない。

お金で買えない財産としてどんな汚れた写真でも、消えかかっても、たかが一枚でも、自身の今後の希望、再生への活力として捕らえ 「有難う」と涙をためて頭を下げる人を沢山見送ってきた。

それゆえに、インクが流れ落ちる写真でも、破棄するしないは、持ち主が決めることで我々が決めることじゃない、と作業するボランティア全員に存在意義を知ってもらうため、写真洗浄の使命と情熱を伝えていた。


仙台の女性経営者にお会いした際も、そのようなことが話題になった。


「被災して切り替えて前に進んでいる人、紹介してもらえませんか?」

震災から3ヶ月程で「そんな人いません」と断ったそうだ。
シナリオ通りの美談を作り上げようとする取材オファーに喜んで協力するだろうか。



震災の現実、メディアを通してでなく、現地に来て実際に見てもらいたいと思う感情が、自然に湧き上がってくるのは誰もが感じることのようだ。



物語を終結してしまいたいというメディアの焦り、現実に「終結」などない事実を伝えて欲しい。



絆を未来へ!! がんばろう名取

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