何をすればいいのか

O社長

ジャッジメント生活

被災状況の今

被災状況を見て欲しい

複雑で難しい現実

I社長

行政へ一刻も早く

被災の現実を見て欲しい

葛藤して、前へ(vol.1)

何をすればいいのか
被害に遭われました皆さま方には心よりお見舞いを申し上げます。
そして、犠牲になられた方々のご冥福をお祈りいたします。
東日本の一日も早い復興を、心穏やかな日が一日でも早く迎えられることを、心よりお祈り申し上げます。


3.11から何度この文面を書いただろう。
あれから物資を送ったり、募金をしたり、節電したり、自粛を自粛したり。
少しずつ自分が出来ることを模索しながら、入ってくる様々な情報に混乱する一ヶ月。


「何が出来るだろうか」「何をすればいいのか」

権力も知識も資格も影響力も体力も経験も金持ちでも無い、ないないづくしの自分が、
「このままでいいのか(自分に対して)」とそわそわし始めた矢先に、

武道家の友人Sさんご夫婦から、被災地に物資を届けるボランティアを個人で行うことを伺う。 「現地で個人でも出来ることはきっとあるはず。とにかく探すことから、動かなきゃ反省も何も出来ない」

Sさん曰く、現地でのつてはいくつかあるが、被災地の状況や感情は変化し続けるので、最悪何も出来ないかもしれない、受け入れてもらえないかもしれない、とのこと。

自分のタイミングは、今。覚悟を決めて、気仙沼へ同行させてもらう。

ボランティアに行く際に様々な注意事項を頂き、その中で「被災者の今を知ること」が一番大事、ということを慎重に受け止める。


--- 【被災者にどう接する 感情の変化に理解を】 被災者の心理的経過は4つの時期に分けられる。災害直後の「茫然(ぼうぜん)自失期」から、被災者同士が強い連帯感で結ばれる「ハネムーン期」、直後の混乱が収まりはじめ、被災者の不満が噴出する「幻滅期」を経て、復旧が進み、生活のめどが立ち始めるころの「再建期」に至る。 ---

現在は「幻滅期」だそう。Sさんの知人でつい最近現地へ取材に行かれた方からもそのような実体験があったようだ。

O社長
多少のゆがみやヒビはあるものの、修復された東北自動車道で物資を運ぶトラックと自家用車で一関から気仙沼入り。古い施設が倒壊しているのを見て、「この2泊3日、個人で出来ることの糸口を見つけられるのだろうか」と徐々に身体に力が入る。


気仙沼へ向かう途中、S夫人が愛用している健康食品メーカーの本社が気仙沼市内にあることをポツリと思い出す。「会社が被災されていないか、それだけでも確認しておきたい」導かれるように、偶然にもそこは物資を届ける目的地の数キロ圏内。

電気も付いていて中に人もいる。会社は営業しているようだ。夫人と二人入口へ向かう。
幻滅期、どのような言葉で、どのような表情で接したらいいのか、言葉を選びながら、緊張の瞬間。

「ああ、それはそれは。有難うございます」と笑顔になる社員たち。

目の前の川の水が溢れ、階段の最上部まで来ていて、あと数センチで建物の入口に到達し浸水するところだった、社員全員屋根に上り雪の降る中、宅配トラックが軽自動車を押し流す様子を呆然と見守るだけだったと、津波状況を淡々と話す。

我々5人各々商品を買って、長居も失礼と退席しようとする所で、社長が到着。

3代目であるO社長は40代前半、社員や家族は無事だが、海に近い社長の自宅は流された。 明るい性格なので被災者には見られないかも、などと我々の緊張を緩和してくれる大変人懐っこい人物。

気遣って頂き、温かい飲物を出してもらい、震災時から今までの状況を、自分なりに感じたことを、彼らしい表現で話し始める。

「今は大分綺麗ですが隣の公園はつい先日まで瓦礫の山だったんですよ」
東京からのボランティアがスコップを持ち撤去作業をしてくれたそうだ。

「本当にありがたいことです。でも・・・」

大変有難い気持ちになると同時に、何故自分達はやろうとも思わなかったんだろう、
被災者としての心の葛藤があることを、心の内を一つ一つ話す。

「何をしていいか分からなくなっているんです。ボランティアの活動を見て、ああそうすれば良かったんだと。このままじゃいけないと気付かされ、我々も何かしないと。
被災しなかった工場や会社がある我々は仕事を再開しようと皆で決断しました」

素晴らしいことです、という私に、そんな単純なことではないことを教えてくれる。

工場や会社が流され営業が出来ない、当然廃業失業する、家族や従業員を失った人々が周りに沢山いる。未だ電気も水もままならない人たちがいて、自分の仕事をやる時間が無い人たちがいて、電気をつけ我々だけ通常通りに営業することは、心が痛むとO社長は言う。

被災者はひとくくりに出来ない、被災レベルはそれぞれ異なり、「何故私だけが全てを失う?」と途方に暮れ、「何故あなた達は失っていない?」と、そういった感情になるのは当然の人間心理。

「誤解を受けてしまう表現ですが、私は家が流れてラッキーと思ったことがあります。
正直な話、私だって失った被災者だと自分に言い聞かせられ、そして何より、この明るい性格を周りは不謹慎と言えない(笑)性格は直せませんからねぇ・・・」

遠方から来た突然の珍客に、時に笑いをとりながら話をするO社長。
内省をしながら、自分と向き合う実直な精神性を持つ若い3代目社長に、社員が誠心誠意ついてきていることをうかがわせる。

ジャッジメント生活
被災者は被災者として暮らしていかなければならない、東北人らしく「じっと耐え忍ぶ」ことで、支援してくれる人にも、何より自分より酷く被災した人にも悪い印象をもたれないのではと自粛してしまう。


そして毎日、ジャッジメント生活が始まる。

トイレの水を流すことも「一日何回だといいのか?」
物資が届いて選ぼうとする自分に「サイズなんて選んでいいのか?」
営業再開しても「電気はどこまでが贅沢と言われないのだろうか?」

「家が流されている私が言っても大丈夫なことがあるが、(横にいる営業担当は被災していない)彼は言えない現実がある」

「頑張りましょう、という言葉でも、相手によって、言う人によってものすごく失礼な言葉に取られる」

会社の前の道路も自衛隊の人たちがあっという間に片付けてくれ、そして他県からボランティアのがれき撤去を目の当たりにする。被災者として己はどうあるべきかを考え続けた一ヶ月、深い爪あとや問題が山積している中で、アクション起こし批判されることを恐れ、常に受身だったと反省する。


過去(震災)の話はずっとし続けている、だけど未来の話、これからどうするべきかは全く誰とも話していなかった。

震災から一ヶ月、人間らしい生活に、そして以前の生活に戻ろうとすることを少しずつ受け入れられるようになり、 「笑いたいですね。避難所にいるお年寄り達にも子供達にも大声で笑って欲しいです。今の私たちに娯楽、本当に必要です」

ちょっとした気晴らしすら後ろめたい状況だが、笑っていいんだ、楽しんでいいんだ、 ということを身をもって広めていきたいと、うっすらと目に涙が浮かべ、O社長は言う。

被災状況の今
今後我々が出来ること、Sさんからの具体的な支援活動の提案、O社長からも提案できることを話し合い、現在の具体的な被災状況を伺う。

「物資はずいぶん足りてきています、しかし情報が安定していない」最初に対応してくれた営業担当者の彼は言う。

【情報取得の格差】
つい先日も物資の配布があったのに、物資配布所から500Mに住んでいるお年寄りは、その情報を知らなかった。
避難所でなく自宅で生活する人たち、情報を得られない人たちは、まだまだ沢山いて、情報が伝わっていないことを本当にもどかしく思う、情報を取得する格差が発生している、自宅で生活している人を行政は把握しきれていない。

【自立と公のサポート】
ライフラインは無いが家が被災していないので、3世帯・20人位で協力して自立した生活を送ろうと、避難所を出て生活を始める人たちもいる。
しかし、各方面の下水処理が間に合わず、とうとう唯一の水源の川に汚水を流すことになると通達を受け、お風呂や洗濯に川の水が使用できなく、避難所に戻る選択を強いられる。
しかし一度避難所を出た人間に、スペースなど確保してもらえるほどゆとりはない。避難所のスペースは土地と同じ。
自立をし自分達で頑張ろうとすることに、公からのサポートは無くなる、物資すら公利用者が優先という現実がある。

【支援物資の難しさ】
震災後寒さに震え、衣類や毛布をお願いし、ようやく物資が届き、数週間で充足し始めた。
何か必要なものはありませんか?という問い合わせの中、なんとか大丈夫だと伝えると、支援物資を調達してくれる側から怒られたことも何度か。
自分たち自身も、「欲しいものはありませんか?」という問いかけに、どこまで甘受していいのか、正直戸惑っている。

被災状況を見て欲しい
最後にO社長が、
「もし震災が別の地域だったら、何か送るだけで、被災地を手伝おうとは思わなかったかもしれない。しかし今回経験したことによって、得れたことは正直多い。本当に本当に有難いことだと思う」

そして、

「目の前の川沿いに桜が咲くんです。従業員の家族の提案で、満開時のGWに社員全員で
お花見することにしたんです。どのような非難を受けようと、津波に負けなかった桜の下で私は絶対に社員とお花見をします」

初見の我々に、本当に多くの情報と心の内を話してくれた。

雨の中、社内にいる社員全員が見送りに出てきてくれ、写真に応え、車に乗り込んだ後も、最後の最後まで全員が手を振ってくれた。


「絶対に、気仙沼の被災状況、見て帰ってください。一人でも多くの人にこの現実を見て欲しい」 彼らが揃って言った言葉、受け止めるべき気仙沼漁港へ向かう。




※音声が乱れているため、YouTubeのオーディオサービスを使用しています。



複雑で難しい現実
個人事業主であるI社長のオフィスへ、S夫婦が集めた物資を届けに行く。

I社長は仕事場と自宅は被災しなかったが、ご両親や兄弟家族は被災し身を寄せている。
「自分達で何かしなければ」と立ち上がり、ネットを使い全国各地の友人知人に呼びかけ、物資を集め被災者に配布する、彼は使命のように不眠不休で動き始める。

一番必要なことは何か、I社長に伺ったところ、当初は「炊き出し」だったようで、S夫婦が炊き出しのことを慎重に調べ、いざ近隣で出来る公共の場所を探すが、まず言われる言葉は

「どこの所属の方ですか?」

責任の所在を取れないのか、個人だと分かると、二言目には「お気持ちだけ頂きます」と全て断られる。

個人で出来ることを探すこと、現地の人たちが求めていることを実現すること、本当に本当に複雑で難しい現実がある。

ここに来るまでに、S夫婦は幾度と無く、憤り、もどかしい思いをし続けてきた。

ボランティアをしたくても「他県からの登録は締め切りました」という所も増えているようだ。

I社長
I社長のオフィスは最初に行った健康食品メーカーの本社から車で10分程度。「物資は大分充足してきている」ということを聞いていたが、I社長は全く逆で「物資は不足している」と言う。

数キロしか離れていなくても、状況は変わり、数百メートル間でも、正しい情報は得られず、まだら被災と同様、平等など無い、温度差を感じる。

30代後半、恰幅の良いつなぎの似合うI社長。普段の彼は健康食品メーカーのO社長のように人情家で人懐っこい、ユニークな方なんだろう、ただ今は言葉の節々に混乱と葛藤が伺える。

「物だけ届いても意味が無い。物資があり、それを分別する人、さらに配布する人、そこで初めて救援活動になる」と彼は言う。

状況は変化し続ける。必要なものはまだ沢山あるのに、適したものが適量届かない。
「靴が必要」とブログに書けば、運動靴が山のように届く。サイズも平均的。
お年よりは運動靴は不慣れで、サンダルやつっかけの方が必要になってきている。

在庫スペースの確保や分別作業ばかりが増え、やらなきゃいけないことがまだまだ沢山あるのに、もどかしさと疲労でストレスも頂点へ。

物資を受け取りに来ていた、津谷出身のKさんは家を失う。足のサイズが大きい彼は、運動靴のカカトを踏み潰して履いていた。
その靴で倒壊した自宅の作業を日が暮れるまで毎日行っている。もちろん泥だらけでも風呂など入れない。風呂は仕方ないから、せめてつなぎなど作業着の着替えがあれば、と話す。

行政へ一刻も早く
余震による天井の落下により、体育館に届いた大量の支援物資は配布されずそのまま手付かずになっている現実があり、民間人の感情としては「行政は何をやっているんだ」と怒りが噴出。

I社長が各避難所へ必要物資を聞くために連絡すると、常に担当者が替わり、避難所の情報をいつまでも把握できず、まとめられる人間が不在。
もちろんI社長が望む情報の吸い上げなどしてもらえない。

Kさんは避難所生活者として、「地区の公民館で小規模で避難していたグループ同士をまとめたら、いざこざが多くなり、物資が貰えないなどトラブルも多い。公なっていない避難所もあって、サイトの避難所情報も不確かなものあり、情報は錯綜、このままではまずい。」と話す。

しかし、I社長は「誰も責められない。役人だって家族や家を失った被災者。混乱しないわけが無い」と言う。

二人は訴える。「リーダーが不在なんです。警察ばかりでなく、現場で頑張っている役人をプロデュースする行政の人間を送り込んで欲しい」

横でメモをしながらカメラを取り出す私に、I社長と初めて目が合った。
撮影を断わられると思ったら、
「そして書いて欲しい。ブログでも何でも、このことを一人でも多くの人に知らせてください」


被災の現実を見て欲しい
我々は被災地観光に来たわけではない、という意識を持って現地入りしたが、
皆に共通するのは

「絶対に、見ていってください。被災の現実を。」

実体の分からない我々に若干警戒していただろうと思われるKさんが、この言葉には唯一力をこめた。

Sさんが今後の具体的な支援物資を約束し、I社長、Kさんと、固いハグ。

物資をトラックから下ろしている際、そこに住む2・3歳の子供が「これあげる」とアメを差し出してきた。断っても近寄ってきてアメを私の手にのせ、「ハイ!」嬉しそうに渡してくれた。


別れを告げて、南三陸・陸前高田へ向かう。


自分の中で、死体がまだある現場を撮影すべきか、撮影してそれをどうするのか、悩み続ける。
滞在中、色々なことが頭を駆け巡り、常に常に葛藤し続ける。
しかし、終わり無く葛藤し続けても、憤っても、怖くても、一歩でも前へ駒を進めることを選択する。


被災地の皆がそうしているように。




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